DI SER ディセル 香りの旅③

この話しは、あの朝に、布団の中で聞いた音から始まるものだが、もしかしたら、それはただの幻聴だったかも知れないし、百歩譲って、それを聞いたとしていても、その音を正しく聞いていたかは疑わしい。


"..... ディセル....."

どちらにしても、これは曖昧な話しで、たまたま幻聴のようなものを聞いたという、少し変わった話で済ませれば良かったかも知れない。


この曖昧で、不確かな「音」を香水のブランド名にしてしまったのだから、この後、この名前とずっと付き合っていくことになる。

この香水を、はじめて海外へ紹介したのが2011年の震災の後だった。そのために、その年の秋に南フランスへ渡った。


あの震災は、あまりの被害の大きさに、日本全体が暗く、これからどう復興するのかを模索していた時期だった。


自分自身も人との関わり合いを、大きく変化させた年だった。


もともと、人付き合いが苦手で、人見知りが激しく、なるべく人とは関わり合いを持たないたちであったが、あの震災を境に少しづつであったが変化していった。

崩壊した原発から、放射性のセシウムやヨウ素の放出も止まらず、復興もどこから手をつけて良いのかわからない中、何故か、復興とは一番掛け離れた香水を、日本の良き文化と一緒に世界へ発信しようと決めた。

どう交渉し、どんな条件で契約するのかを全く知らない素人だったが、ただ、日本の香水を世界へ向けて発信したかった。


売る気もない日本人が、わざわざお金をかけて、海外の展示会にやって来るということを、あちらのバイヤーやショップの人間がどのように捉えただろうか。


おそらく、バカとしか理解出来なかったと思う。

この時に、はじめて知ったことたが、香水は第3類の引火性危険物に指定され、特別な資格を持たないと航空便で送れないということだった。


こんな事も知らない素人が、日本の文化と一緒に香水を海外へ伝えるといったところで、まったく話しにもならなかった。


つづく

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